【社会】 日本軍 4歳女児を「スパイ」として処刑

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1 名前:ソグベシ←エ ★:2015/06/22(月) 19:48:45.79 ID:???*.net
4歳「スパイ」の汚名 沖縄戦 渡野喜屋の悲劇

 太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民が根こそぎ軍事作戦に動員された。このため、投降する住民を日本兵が「スパイ」と見なし、殺害する事件が相次いだ
。背景には、軍事機密の漏えいを防ぐ法律があったが、被害者のほとんどは正当な理由もなく、口封じのために殺された。加害者側の日本兵も飢えや恐怖に
追い詰められていた。そんな中で起きた残虐な行為が、戦争の陰惨さを浮き彫りにする。 (安藤恭子)

 七十年前、全身に飛び散った手りゅう弾の破片が、今も体をむしばむ。「私は、四歳で『スパイ』として処刑された」。沖縄県読谷村(よみたんそん)出
身の仲本政子さん(74)=大阪市=は、悲しげに笑う。日本兵が住民を虐殺した「渡野喜屋(とのきや)事件」で生き残った。

 一九四五年五月、米軍に捕らえられた仲本さん一家は、県北部の渡野喜屋(大宜味村(おおぎみそん))の集落に収容された。村議だった父が、米兵にも
らった食料をほかの人に配るのを、山に隠れた日本兵がじっと見ていた。

 「おまえたちは、こんないい物を食っているのか」。兵隊たちは夜中、一家が休む民家に踏み込んだ。仲本さんは母と兄、妹の四人で、砂浜に連行された
。数十人いた周りも年配者や女性、子どもばかりだった。

 「アメリカの捕虜になって、恥ずかしくないのか!」。兵隊が怒鳴り、「一、二、三」の合図で手りゅう弾を何発か投げ込んだ。二歳の妹は死んだ。日本
兵が引き揚げた後、米兵が倒れていた仲本さんを箱に入れ、テントに運んだ。

 父は別の場所で、首に短刀を突き刺されて殺された。両ひざは丸くくりぬかれ、「日の丸だ。勲章だ」と日本兵が持ち帰ったという。血の海に浮かぶ遺体
を見つけた母と兄は、あまりのむごさに気絶した-。

 これが、仲本さんが二十歳の時、兄から打ち明けられた話だ。三カ月後、兄は心を患い、入院した。

 「渡野喜屋はスパイ集落」という密告が事件のきっかけだった。「私たちがスパイだなんて殺す言い訳だ。戦争は悪魔を生む。人間を信じられない私は、
今も暗闇の中にいる」。仲本さんは苦しみを明かす。
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 事件の正式な調査は行われていない。県史編集委員の大城将保(おおしろまさやす)さん(75)は、真相を知ろうと証言を集め、「飢えに苦しんだ日本
兵が、食料強奪のために集落を襲った。スパイへの過剰な警戒もあった」と結論づけた。少なくとも死者は三十~四十人と推測する。

 背景には軍事上の秘密を漏らせば「死刑」と定めた「軍機保護法」があった。しかも、軍の内部文書では、沖縄の方言を話す人や敵のビラを拾った人まで
、処刑することを認めていた。

 渡野喜屋のように、スパイとされた住民が殺された事件は、大城さんが確認しただけで四十六件ある。

 「住民がスパイの汚名を逃れるには、投降せずに自ら死ぬしかない。住民虐殺と集団自決の根は同じ。コインの表と裏だよ」。大城さんは、住民の四人に
一人が死んだとされる沖縄戦の悲劇をこう解き明かす。

 <沖縄戦> 1945年3月26日、米軍が慶良間諸島に上陸して始まった。4月1日に本島に上陸。日本軍は住民を巻き込む持久戦を展開し、「鉄の暴
風」と呼ばれる米軍の猛攻を受けた。県の推計によると、沖縄戦の死者は20万人余。内訳は県外の日本兵6万6000人、米兵1万2500人に対し、住
民の死者が9万4000人と上回り、沖縄出身の軍人・軍属も2万8000人亡くなった。沖縄を守備する第32軍司令官、牛島満中将が自決し6月23日
、沖縄本島での組織的戦闘は終わった。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015062202000122.html

引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1434970125

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